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非薬物的介入最初期の関係づくりと継続的支援藤本クリニックの取り組みにみる、初期対応のエッセンス

藤本 直規 先生

藤本クリニック院長

取材:2019年2月13日 藤本クリニック(滋賀県守山市)

「仕事として評価されることがしたい」
若年性認知症の退職者の希望に応えて

若年性認知症のために退職を余儀なくされた人が、ただちに介護保険サービスを利用するのは心理的な抵抗がある。「少しでも対価をもらいながら社会に役立つことがしたい」。若年性認知症の人のこうした声を聞き、藤本クリニック(滋賀県守山市)では2011年、内職を請け負う『仕事の場』を始めた。

毎週水曜日、JR守山駅前のビルの1室が認知症の人たちの勤め先となる。取材に訪れた日は、若年性認知症の人を中心に、70代の軽度認知症の人、高次脳機能障害のある人、発達障害の人、社会に出づらい若者など約30名が7つのテーブルに分かれ、企業から受注した内職に取り組んだ(写真)。

写真: 藤本クリニック 「仕事の場」

取材当日の仕事の内容は、菓子を入れるクリスマスブーツの制作や、玩具(猫じゃらし)の部品加工など。今回が初参加という70代の男性は、慣れないカッター作業で指が痛いと笑いながら、「いい雰囲気ですね。みなさんの人生の経験談を聞いて、いろいろ感じる部分があったので、今日はそれをポケットに入れて帰らせてもらいます」

作業時間は、45分ごとに15分の休憩(お菓子とお茶で談笑タイム)をはさみながら4時間。

同じ長さでパイプを切れるように目盛りを付けたまな板を使用(左)。切ったパイプは製氷皿に入れて数を確認。寸法もチェックできる(右)。

この日は作業が早く終わったので、みんなで楽しめる“脳のリハビリ”で盛り上がった。

自宅近くのクリニックで『仕事の場』を紹介され、30分かけて通っているという男性は、「頭と手を使うのがいいし、みんなでワイワイしゃべって楽しい」と話す。50代半ばで若年性認知症と診断され、藤本クリニックの就労継続支援を受けながら定年まで勤めた男性は、「こういうところが何もなかったら家にこもるだけですやん。それはつらいわ」と言う。

“仕事”ならではの厳しさもある。検品で不良品が多ければ、藤本クリニックのスタッフがそれを参加者にはっきり告げ、つくり直してもらったりする。一方でスタッフは、参加者の症状に応じて道具を工夫したり、作業分担を変えたりしている。参加者に遠慮はしないが、作業ができるように配慮はするというスタンスだ。藤本クリニック院長の藤本直規先生は、「『仕事の場』は、仲間と出会い、仕事を通じて社会とのつながりを実感する場であると同時に、診断後に初めて、工夫された適切なケアを受ける場でもあります」と話す。

その人の状況、段階に応じて
最適な対応を考える

就労継続の限界を見極める視点

藤本クリニックでは『仕事の場』の開始以前から、在職中の若年性認知症の人の就労継続支援に力を入れてきた。上司や人事担当者、産業医などときめ細かくやりとりをしながら、本人への接し方をアドバイスしたり、その時々の状態に応じた仕事内容への変更や配置転換などを依頼している。

どれだけ仕事が継続できるかは企業の体力にもよる。ただ、「長く続けばいいというものでもない」と藤本クリニックの看護師の奥村典子さんは言う。「症状が進み、会社に行ってもミスばかりで何もできないという状態では本人がつらいですし、サポートする周囲の人も疲弊してしまいます。結果的に介護支援サービスに移行する適切なタイミングを逃すことにもなりかねません。どこが限界なのかの見極めが大切なので、企業の方には『もう無理であれば声を上げてください』というお話もしています」

2~3年の就労継続期間を経て退職となるケースが多いという。その後につながる受け皿、居場所として『仕事の場』が用意されている。

職場を通して受診勧奨を行う

藤本クリニックでは、認知症の社員の就労継続支援をしている企業などから、別の社員の仕事の効率や精度が微妙に低下していると相談を受けることがある。実行機能の低下など認知症の発症初期の症状は、家族よりも先に職場が気づくことが多いという。そうした場合は企業に対し、「本人はおそらく仕事に支障をきたしていることがわかっています。だからあまりオブラートに包まずに、何ができていて何ができていないのかをはっきりと伝えたうえで受診につなげてください」と依頼している。

“支援の空白期間”への対処

軽度認知症の人の多くは、記憶障害や実行機能障害のために自分の身に起こっていることに気づいており、不安や自責の念を抱いている。そのため、「病名を告知すると、『忘れたり上手くできないのは自分がサボっているからではないんですね』とホッとする」と藤本先生は言う。もちろん今後への不安は残るので、薬物治療に加え、病気の理解・受容と仲間づくりを目的とした『外来心理教育(個人・集団)』や、仲間と自主活動しながら社会参加をめざす若年性・軽度認知症デイサービス『もの忘れカフェ』などの支援があることを伝えている()。

図: 藤本クリニック 16年間の若年性認知症ケアの移り変わり

受診の早期化により、本人たちが必要とするニーズが変わるのに合わせて活動の場をつくってきた。

藤本クリニック提供資料を元に作成

以前は、診断後、クローズドの心理教育にはなじまない人や直前まで仕事をしており、何らかの仕事をすることを望んでいる人は心理教育につながらず、“支援の空白期間”があったが、今はこの空白期間を『仕事の場』が埋めている。

グレーゾーンの人への対応

認知症の早期受診が進むのに伴い、認知症とはいえないが、認知機能の低下がある境界線の段階での受診も増えてきた。この段階での説明には特有の配慮が必要となる。たとえば、先に「認知症ではない」と話すと、それを聞いた時点で安心し、後の「認知症に進むリスクがある」という説明が耳に入らない人もいるという。そこで関係が途絶えると、せっかく早く受診したのに、認知症の重い症状が出るまで治療・支援に至らないケースも生じてしまう。そのため人によっては説明の順番も重要となる。

また、認知症の病名告知とは異なり、本人は“認知症になるかもしれないし、ならないかもしれない”という宙ぶらりんな状態で、次の受診まで不安で過ごすことになる。そこで「心理教育で集まりませんか?」「仕事の場に出てみませんか?」と呼びかけると不安がやわらぐという。

次の支援へのスムーズな移行と、仲間への影響

これまでに多くの人が『仕事の場』から『もの忘れカフェ』や地元の介護保険サービスに移行してきた。『仕事の場』で仲間と交流する喜びを知り、また仲間とふつうに病気や症状について話し合うことで病気の受け入れも進むため、「介護保険サービスへの移行で困ったことはない」と藤本先生は明言する。

藤本先生や奥村さんは、ほとんど『仕事の場』で一緒に過ごしてきた仲間が卒業すると、次の場所で変わらずに過ごしていることを、その都度、参加者に伝えている。すると、自分のこれから先の姿を重ねつつ、「でも元気なんだな」「進行しても終わりじゃない」と安心感を強めているように感じるという。

中等度~高度に移行しても安心できる受け皿を

奥村さんは、「認知症のごく早期からの介入に焦点があてられる一方で、高度期に進んだ人たちへの関わりについてもBPSDなどしっかり対応しなければならない問題が山ほどある」と課題を述べる。藤本先生も、「中等度から高度まで進行しても安心してもらえる受け皿を用意できたうえで初めて、早期対応に注力することができる」と話す。

このような課題に対し、滋賀県では『若年認知症支援者見える化事業』として、若年性認知症の人や家族の支援に積極的に取り組んでいる施設・事業所などを県のホームページで公開している。また藤本クリニックでは、こうした施設・事業所に出向き、認知症ケアの実践現場で課題解決に一緒に取り組む『現地相談』を2005年度から続けている。

以前、藤本クリニックの『もの忘れカフェ』を利用していた男性が施設に入所した。その後、症状の進行に応じて2度、施設を移った。そのいずれの施設でも、藤本さんと奥村さんは、『現地相談』の際に男性と再会している。藤本先生は、「2つ目の施設では言葉を話せなくなっていましたが、うんうんとうなずいていたので、僕たちのことを覚えていてくれたと思います。言葉にはなっていないので本当のところはわかりませんが、そうしたつながりが何かの支えの一つになっていればいいですね」と言う。

より早期からの対応を見据えて

バイオマーカーの進歩などにより、症状はないが認知症の前段階の可能性がある人が日常的に診断されるようになったとき、どのように対応すればいいのだろう。奥村さんは「何らかの対応機関は必要なのでしょうが……難しいですね」と戸惑いをみせる。

「ただ、その方にとって『何かが起きたときに話せば何かを返してくれる人』にはなっていなければと思います。最初にそういう関係ができれば、その後の過程が大きく変わるのではないでしょうか」

藤本先生は初期からの長い関係性について話す。「かつては若年性認知症の予後は非常に短いとされていましたが、今は経過がかなり長くなっています。京都から来ていただいていた方は、診断から22年目に亡くなられました。その間ずっと、奥村と定期的に手紙のやり取りを続けていましたね」

最初期からの関わりと継続性が今後ますます重要になっていく。