2013年に改訂された米国精神医学会による操作的診断基準DSM-51)では、「日常生活機能における自立性のレベル」が注目されています。これについてどのような印象をお持ちでしょうか。
アルツハイマー病(AD)を中心とした神経変性疾患に伴う認知症の診断技術が向上し、早期治療、早期介入の意義が啓発されています。そうしたなか、私たち精神科医としては、認知症の不安を抱える人の日常生活の変化、あるいは認知症と診断された際の心の変化を見逃してはいけないと思っています。
DSM-5が従来版のDSM-Ⅳと大きく異なる点の一つは、「Dementia」という用語を用いなくなったことです。「Dementia」の語源はラテン語の「de-mens」ですが、この言葉には「知性がない」「正気からはずれる」といった意味があります。偏見を助長する表現として、DSM-5では「Neurocognitive Disorders:NCD(神経認知障害)」に呼称変更されました。
そのうえで重症度に関しては、「Major NCD(日本における認知症)では、以前は自分でできていたことを他人がとって代わらなければならないほど自立性が妨げられる」「Mild NCD(日本におけるMCI)では、自立性は保たれているものの服薬管理などの複雑なADL(Activities of Daily Living : 日常生活活動)にはかすかな障害がみられたり、以前より努力や時間を要したりする」と明記されています。認知症とMCIの重要な相違点として、ADL障害の程度に着目しているわけです。
従来は、認知症イコール記憶障害というイメージがありましたが、DSM-5では違う捉え方をしているようですね。
DSM-5では、認知機能を「複雑性注意」「実行機能」「学習と記憶」「言語」「知覚一運動」「社会的認知」の6領域に分類し、記憶障害だけでなくかなり広い範囲で認知機能を捉えるようになりました。様々なタイプのMCI、認知症を包括できる概念になっていますし、おそらく特定の認知機能障害があるMCIの人が将来的にどのタイプの認知症に移行するのかを検討する、という目的もあるのだと思います。
DSM-5における認知症の診断基準では、「以前の行為水準から有意な認知の低下がある」とする根拠の一つとして、「本人、本人をよく知る情報提供者、または臨床家による、有意な認知機能の低下があったという懸念」を挙げています。新たに情報源が具体的に記述されたわけですが、自分自身で「何かおかしい、前とは違う」と感じることも判断要素に加えた点についてはどうお考えですか。
より早期での診断、介入を目指してのことなのでしょう。一方で、主観を重視することが過剰診断を招き、本人の不安が余計に惹起されて抑うつ状態を呈したり、家族にも動揺を与えたりする可能性もあります。主観的なもの忘れなどは、ごく早期の診断における重要な判断材料になりますが、過剰診断にならないよう臨床医は注意すべきだと思います。