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不安への対応認知症はどう生きるかが問われる病気認知症ハイリスク群の人に話し続けていること

Masahiro Shigeta
繁田 雅弘 先生

東京慈恵会医科大学 精神医学講座 教授
同大学精神神経科・メモリークリニック 診療部長

1983年
東京慈恵会医科大学医学部卒業
1992年
スウェーデン・カロリンスカ研究所客員研究員
2003年
東京都立保健科学大学教授
2005年
首都大学東京健康福祉学部教授
首都大学東京健康福祉学部学部長
2011年
首都大学東京 副学長
2017年
現職

取材:2019年3月11日 東京慈恵会医科大学(東京)

認知症になっても
喜びや感動は低下しない

まだ一般的には“認知症になると何もわからなくなる”というイメージがあると思います。一方で症状が軽い段階での受診も増えているようですが。

私の外来では、自分で認知症ではないかと心配し、おひとりで来られる人のほうが多いですね。そうした方々のおよそ半分は、認知症ではないけれど軽度の認知機能の低下があり、将来は認知症に移行するリスクが一般高齢者よりも高いグループです。

おひとりで来られる人の話を伺うと、しかるべき受診の理由があります。もの忘れが増えてきて、日常生活での失敗もある。そのため自信を失い、不安からQOLやADLが落ちている状態の人が多いようです。負の相互作用といいますか、自信をなくすと失敗が増え、ますます不安になることで判断力も落ちるというのはよくあることでしょう。そうした人の中には、支持的精神療法の考え方に基づいて励ますことで、以前の生活に戻れる人もいます。

いかに不安を軽減するかが重要ということですね。認知症になるリスクが高いと思われる人たちには、どのような説明をするのでしょうか。

まず、「認知症ではない」と言って安心させることには限界があります。認知症を発症したら、「認知症ではない」との言葉かけはできませんから。私が伝え続けていることの骨子はただ一つ、「認知症になってもならなくても、今の暮らしと継続性のある生活はできる」ということです。適切な支援があれば、食べたい物を食べ、やりたいことがやれ、住みたい場所で生きていけるということを話し続けるのが私の外来です。

その後の経過の中で、「やっぱりもの忘れが強くなってきました」という話が出たとします。ここが非常に大事なところで、「認知症の診断がつくかもしれない。でもついたとしても、診断の前後で脳が急に変わるわけではないし、身体も変わらない。そこで病気とどう向き合うかが、今と同様の生活を続けられるかどうかの分かれ道になります」と話します。実際に認知症の診断がついた際には、「前にお話したことを覚えていますか?」とあらためて、自分が大切にしていることを続けられること、続けるための工夫をすべきと伝えます。

認知症になるのか、ならないのかという点にあまりとらわれないことが大切なのですね。

認知症になるかもしれないし、ならないかもしれない。認知機能が健常な状態に戻るかもしれない。それはこのグラフ()の通りです。要するにどうなるかわからない。だから認知機能の低下がみられる人には、「病院でやったテストの成績がちょっとふるわなかったとか、老化の影響が強く出たぐらいにまずは思っていてください」と話しています。

図: 加齢と認知機能(イメージ図)

監修:東京医科大学病院高齢診療科 主任教授 羽生春夫

「でも先生、認知症になるかもしれないのでしょう?」と言う人もいます。その場合は、「そう、認知症になるかもしれません。でも不確かさのある診断で悪いほうに考え、自信をなくし、自分の可能性を狭めるのはすごくもったいないことだと思いますよ」と答えます。認知症になるかもしれないからといって、たとえば旅行や、家の建て替えや、再婚などをあきらめて、結果、認知症にならなかったということも十分にあり得るわけです。

こうした右肩下がりのグラフを使う場合、人によって説明の仕方は違うのですが、「人生はこのグラフの最後まで続くわけではありません。症状が軽いままで人生を全うされる人も最近は増えました」という話に持っていきます。あるいは、「これは記憶障害や遂行機能障害を中心に説明しているもので、認知機能の全体についてはわかりません」「仮に認知機能全体が多少なりとも下がるにしても、そもそも人間の価値は認知機能で決まるのですか?」と問い掛けます。観た映画のタイトルや食事をしたレストランの名前を覚えていることが人間の価値だとしたら、それはおそらく落ちていく。でも、認知症が進んでも、映画を観て感動したとか、ご飯を食べておいしいとか、温泉に入って良い気分だとか、人に会ってうれしいといった感情は落ちない。私はそう断言します。それを人間の価値だと思うなら、認知症になっても変わることはない。「気持ちまでこのグラフのように落ちてしまうかは、あなたしだいです」と説明しています。

認知症という病気と向き合うことを
人生を問い直すきっかけにする

早期に先生のところに相談に来る人は、人生で続けたいことがあるから受診するのでしょうか。

そうとは限りません。「これをやりながら生きたいとか、こういうふうに暮らしていきたいと言っていただけると医療の支援をしやすいのですが」と話しても、答えられない人もいます。人生の目的など考える余裕もなく生きてきた人も多いですからね。そういう人には、「認知症になっても(が進んでも)やりたいことを探しておいてください」と話しています。

認知症はどう生きるかを問う病気です。そこに他の病気とは違うつらさがあるのかもしれません。

高血圧や糖尿病であれば検査所見が改善することを目標にできます。自分の人生を見つめなくてもすむわけです。がんで余命が限られている場合は、ある意味、残された時間で何をしたいかを自分に問い直し、整理をつけやすいのかもしれません。

認知症の場合は何年、何十年と人生が続きます。また、認知症になるリスクが高いが、ならないかもしれないと告げられた場合は、結果的に発症しなくても雑念と戦いながら生きることになるでしょう。

一方で、そうした診断を受けた人が、慌ただしい生活の中で立ち止まり、「いや待てよ。認知症になるかもしれないし、ならないかもしれないが、俺の人生はまだ20年30年と続きそうだ。さてどのように生きようか」と考えるとしたら、それはとても貴重なことだと思います。認知症と向き合うことが、自分の人生を問い直すきっかけになれば、その後の人生はより有意義なものになるかもしれません。

認知症の発症予防について質問されることも多いのではないでしょうか。

私は一般向けの講演会でよくこういう話をします。「みなさんの中の一人から『私が認知症にならない方法を教えてほしい』と言われても、それは約束ができない。でも、この会場にいる300人の中で、3年後に認知症になる人の割合を減らせと言われれば、減らす自信はあります。みんなで予防に良いとされることをやればいいのですから」。何が言いたいかというと、すべての予防法が必要という意味ではありません。どの方法が合うかは人によって違うので、何が必要かわからないということです。

ベストな予防法を考えるなら、管理栄養士と理学療法士と作業療法士がそれぞれの人の相談に乗り、その人に合った食事、その人に適した負荷の運動、その人が興味を持って続けられる活動を指導することです。おそらく認知症の発症率をかなり減らせると思います。でも現実にそれは難しいですよね。

現実的な対策は、国の施策として国民を教育することではないでしょうか。医師に注意されたこと、家族に「こんなものばかり食べて」と言われたことなどを振り返りながら、自分に合ったライフスタイルを自分で考える。認知症予防に限定せず、自分らしい人生を送るために健康の増進に努める。それにより結果的に、認知症を予防したり、発症を何年間か遅らせることも可能だと思います。

最後に、認知症診療に携わるかかりつけ医の先生方へのメッセージをお願いします。

今日お話したように、「認知症の疑いがある」、「認知症になるかもしれない」と伝えるだけでは、ただわからないと言っているにすぎません。ぜひ認知症になってもならなくても、その後の人生に大きな変化はないことを説明し、力づけてください。本人が認知症とどう向き合うかというところをサポートしてください。そこが本当に分かれ道になります。

また、これは最近の私のテーマなのですが、「認知症になると最後は何もわからなくなる」と言う人と、「いや、最後になっても何かわかることがある」と考える人がいます。私は医療職やケア職の人たちにどう思うかをあらためて問い直し、「最後まで希望を持ち、わかると信じて医療やケアを行う専門職になろう」と話したいと思っています。