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医療経済費用対効果の誤解と本質認知症医療の「価値」をいかに数値化するか

Igarashi Ataru
五十嵐 中 先生

東京大学大学院 薬学系研究科 客員准教授
横浜市立大学医学群 准教授

2002年
東京大学薬学部薬学科卒業
2008年
東京大学大学院薬学系研究科博士後期課程修了
2008年
同大学院特任助教
2015年
同大学院特任准教授
2019年
同大学院客員准教授(現職)
横浜市立大学群准教授

取材:2018年8月6日 エーザイ本社(東京)

効果÷コストでは正しい評価はできない―CERではなくICERで評価

以前なら、日本で認知症の患者さんが急増しているというデータは、公的医療費の認知症分野への投入にプラスに作用していました。しかし最近は、身近で「目立つ病気」、重要な病気だからこそ、財政への影響に厳しい視線を向けられる可能性が出てきています。

風向きが変わったきっかけは、ここ数年、肝炎や肺がん、高脂血症などの領域で「とても良く効き、なおかつ高額」な薬の上市が相次いだことでした。医療予算への影響を問題視する声が高まり、行政だけでなく、医療者や一般の人々からも、費用対効果の議論が提起され得る状況になりつつあります。

医薬品の費用対効果評価は、単に①介入の費用と、②介入によって将来削減し得る費用を秤にかけるものではありません。①による医療費増加幅が、②による医療費削減幅を上回り、結果的に医療費が増えたとしても、それに見合った健康上のメリットがあれば薬剤経済的には妥当と評価します。

図1に単純化した薬剤経済評価の概念を示します。

薬剤の費用対効果というと、単純に薬剤の効果を費用で割り算したくなります。その値をCER(cost-effectiveness ratio:費用効果比)と呼びます。CERどうしを比べて、新薬は1人救命あたり11.1万円・既存薬は1人救命あたり2.4万円だから、新薬は費用対効果が悪い…のような評価はしません。正しくは、コストの差分を効果の差分で割り算して比較します。この値をICER(incremental cost-effectiveness ratio:増分費用効果比)と呼び、ICERが小さければ小さいほど、「費用対効果に優れる」ことになります。

図1: CERとICER

仮に既存薬は100人当たり200万円のコストで、100人中85人を救命できる。新薬は100人当たり1000万円のコストで、100人中90人を救命できる。この場合、既存薬のCERは、200万円÷85人=2.4万円/1人救命(緑の直線の傾きに相当)。新薬のCERは、1000万円÷90人=11.1万円/1人救命(青の直線の傾きに相当)。一方、ICERは赤の直線の傾きに相当し、図内に示すように160万円/1人救命増加となる。

五十嵐 中先生 提供

他の疾患領域との比較が不可避―LYではなくQALYで評価

ICERを計算して費用対効果を評価する際には、効果のものさし(アウトカム評価)を何に設定するかが問題になります。図1の例では救命人数でしたが、それでは慢性疾患などの治療薬の評価は難しくなります。たとえば認知症の場合は、「MMSEで測ったときの重症患者を1人減らすのに○円」といった評価方法が考えられますが、MMSEのように疾患特異的なアウトカムを用いると、他の疾患領域の医薬品との比較ができません。今は医療資源の効率的配分が強く求められており、全体の縛りがきつくなる中で認知症の重要性を強調するためには、様々な疾患を横並びで比べられる指標が必要です。

生存年(life year:LY)をアウトカム指標にとれば、がん領域や感染症領域の医薬品を同じ土俵で比較できます。しかし認知症などの場合は、生命予後のものさしでは病気の重みを適切に測れません。

そこで考え出されたのが、QALY(quality-adjusted life year:質調整生存年)という概念です。

健康状態に0(死亡)から1(完全に健康)のスコアを当てはめ、生存年数を掛けます。たとえば、余命は伸ばせなくても(同じ10年)、QOL値を0.3から0.6に改善できる薬があるとします。生存年数だけみればこの薬の価値はゼロです。しかしQALYで測ると10×0.6-10×0.3で「3QALY分の増分効果がある」ことになるのです。QALYとLYの関係を図2に示します。

QOLの評価スケールとしては、多くの国で使われ、国際的なバリデーションも実施済みのEQ-5Dが有用です。

図2:QALY(質調整生存年)とLY(生存年の関係)

新薬と既存薬の余命はそれぞれt3、t2だから、効き目の差はそのままt3-t2、すなわちDEを底辺とする長方形の面積となる。一方、QALYで測った場合はDBEで囲まれた曲線の面積が効き目の差に相当する。「余命の延長効果」だけでなく、「生きている問のQOLの改善効果」も評価できるのが、QALYのメリットである。

五十嵐 中先生 提供

がんなど他の疾患とは異なり、認知症は重症化すると医療費が増えるとは言い切れません。ですから介護者負担なども含め、多面的に費用対効果を評価する必要があります。

よく、認知症の本人や家族のたいへんさが外部に伝わっていなかったことが問題だといわれます。だからしっかり伝えなければと。そうではなく、伝える以前に、そもそも認知症のたいへんさがきちんと測られてこなかったことが異常な状態といえるのではないでしょうか。誰もがなり得る重要な病気だからこそ、負担をしっかり数値化し、さまざまな介入時期や方法の費用対効果を評価し、今後登場する可能性のある薬剤の新たな価値を見出していくべきだと思います。